33.白須賀 | |
汐見坂の特徴のあるU字型の地形を両図とも正確に描いている。 モデルの絵がありそうな気がするが、まだ見つかっていない。 |
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34.二川 | |
江漢図は、二川とは別な場所−猿ヶ馬場(柏餅が名物、二川と白須賀との中間点で県境の山越え)−を描いたもの。 広重図は、二川宿付近の長大な尾根を背景に描くが、副題は「猿ヶ馬場」。猿ヶ馬場名物の「柏餅茶屋」を描き込んである。 すなわち、広重図は二川と猿ヶ馬場のミックスである。空の部分まで小松が描かれているのは、江漢図のアングルに引きずられたもの。 |
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江漢図には「かしわもち」屋を示す看板がないのに、広重はどうやってそれを知ったのか。二川と猿ケ馬場がどうしてつながったのか。 |
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猿ヶ馬場付近(県境の山越え。草山を見下ろす地形) |
二川駅(二川宿)付近に見られる長大な尾根 二川付近は平地で、新幹線、JR従来線、旧東海道が並んで 走っている。すなわち山を見上げる地形である。 |
35.吉田 | |
江漢図は石巻神社付近から見た石巻山を吉田橋と合成。吉田橋から数キロ離れた場所で、東海道からはこんなに大きく見えない。 広重図は、東海道名所図会から採ったものだが、どの山を描いたのかはっきりしない。 |
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36.御油 | |
大正の写真 |
参考:広重の遠近法 1838広重「江戸勝景」
直線的な街 |
江漢は、山だけでなく、町並みの写生にも写真鏡を使ったらしい。当時の遠近法では描けないカーブした町並みが描かれている。 広重当時は右図のような直線的な町並みの遠近法が限界であった。 江漢図発見当時、「江戸時代にはない高度な遠近法が使われているから、明治以降のニセモノ」と判定されたことがあるが、この論理では「広重図も明治以降の作品」ということになってしまう。 |
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37.赤阪 | |
広重図は旅籠の内部で、広重にしては珍しい風俗描写である。 ★北斎53次(下図@A)2枚がモデルであることが分かった。 |
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@北斎五十三次 「道中図譜(冊子)」1830 屋根や縁の下の構図。風呂に入る客、あんま中の客、寝ころぶ客。積上げた布団。 |
A北斎五十三次シリーズ(1825頃) 化粧中の女三人−−とくに口紅をふき取る女性。布団と屏風。 |
38.藤川 | |
お馬献上行列: 広重はこの行列に参加して東海道を歩いたと言われていたが、証拠資料があるわけではなかった。 |
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両図のお馬行列は、東海道名所図会「吉田天王祭」がモデルらしい。御幣を立てて飾った馬、長い石垣、地面に座った見物人 |
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39.岡崎 | |
40.池鯉鮒 | |
山のない初刷り |
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クジラ山を出したり入れたりした理由: 江漢図と較べれば明らかで、江漢図に合わせようとしただけである。 ★「山のある方が初刷り」という定説は間違い。 |
山を入れた後刷り−−最終的には再び山を省いた。 |
東海道名所図会「池鯉鮒の馬市」が両図のモデル。よく探すと江漢/広重図と同じポーズの馬が何匹か見つかるはず。 |
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41.鳴海 | |
大正時代の鳴海 | |
42.宮 | |
江漢図は熱田神宮(実は屋根の形から伊勢神宮らしい)。広重図は熱田地方の端午の節句の馬揃え行事を描く。 |
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尾張名所図会(1842) 端午「馬の塔」 本馬と俄馬があった。 本馬は飾り立てた馬行列。 本図は俄馬で、裸馬に荒むしろ。 尾張名所図会(1842)は、広重図(1833)より後の刊行。 ◆東海道名所図会の「熱田神宮の年間行事」の中に「馬の塔」が出ていないことから、 「こんな行事は実在しなかった」とする意見があるが間違い。 |
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43.桑名 | |
伊勢参宮名所図会「桑名」 部分 東海道名所図会にも似た画があるが、帆の形がよく似ていることから、これが元絵らしい。 鈴木重三氏「保永堂版東海道五拾参次」(岩波) 広重五十三次のモデルには東海道名所図会が多いが、伊勢参宮名所図会はあまり使われていない。 |
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44.四日市 | |
北斎の冨嶽三十六景(1830-1835頃)「駿州江尻」の強風シーンが広重「四日市」の風のヒントという記事を多く見かけるが、江漢図(1813)がオリジナルなので時間的に成り立たず、この説はこじつけであった。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 東海道分間絵図の右のシーンが江漢のヒントになっているかも知れない。(江漢は箱根などで東海道分間絵図を参考にしている。) (右図は雨のシーンだが、風のようにも見える。合羽姿の旅人。) |
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45.石薬師 | |
東海道名所図会「石薬師」が両図のモデル |
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46.庄野 | |
江漢図 もう一つの江漢図(失敗作らしい) 広重図 中央図はインターネットで紹介されたもう一つの江漢図で、印はあるが署名がないところから江漢の失敗作。 雨にけぶる木立の描写が、この方が広重図によく似ていることから、広重はこの図も参考にしていることが分かる。 |
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47.亀山 | |