画集  ショケラの正体                      写真集目次へ
青面金剛が吊り下げる女人像(ショケラ)は、青面金剛以上に正体不明。ショケラと呼んでいいのかさえ結論が出ていない。
窪徳忠 「庚申信仰の研究」 S36 福井県三方郡美浜町麻生の伝承
「ショケラ」は人間を罹病させることを始めとし、さまざまな悪いことをするものでおる。そこで庚申さんが、それがあばれださないように、頭髪をつかんでおさえているのである。
●この女人像をショケラと呼ぶのは、全国で、福井の2例の他には三重の1例のみである。
ショケラを女人の姿で現わした理由、およびこれを「シヨケラ」とよびはじめた理由は明らかでない
本ページは、窪徳忠説が正しいことの証明とその補強資料である。
  
   
ショケラと似た仏像画 髪を持って吊るされた半裸像。 いずれもシヴァまたはシヴァ夫妻が征伐されている図。
 
ショケラの歌(庚申の夜の呪文)・・・庚申の夜、徹夜をさぼって寝てしまうとき唱える呪文

 ●平安時代 袋草紙   しやむしや いねや去りねやわが床に  寝れど寝ざるぞ 寝たれど寝ぬぞ
 ●後世の庚申縁起    しやけらや いねや去り子やわが床に  寝れど寝ざるぞ 寝たれど寝ぬぞ

「オレは寝ているように見えても、実は寝ていないのだぞ」と三尸虫を騙す呪文
この呪文から、しやむししやけらと三尸虫を指すことは間違いない。
金輪院庚申縁起

そもそも人間生まるる時、三鬼ありて、人ともに誕生す。それを三尸と号く。
・・・(以下三尸の害を具体的/詳細に記述)・・・
庚申の日、鬼となって障害を人に成す。大学匠/善知識
(大学者/高僧)もこの鬼の祟りは遁れず。
庚申の日・・青面金剛薬叉明王は・・大憤怒の形を現し、・・無数億の眷属を具して・・人間の身を煩わす霊魂鬼神のたぐいを、ことごとく滅ぼし平らげ微細に降伏せしめ給う。

●普通の庚申縁起では、「庚申のお勤めを行うと、三尸虫の害から逃れられる」と書いてあるだけ。
  金輪院の縁起では、一歩進んで、「青面金剛が三尸虫を征伐/退治してくれる」と具体的な情景が説かれている。 
   
この「青面金剛による三尸虫(ショケラ)征伐」の情景を描こうとしたのが、金輪院掛け軸である。
ショケラを仏典/仏像研究書から探すと、商羯羅天(シヴァの別名)が見つかる。
諸説不同記(日本最初の仏像研究書−奈良時代)

新纂仏像図鑑

諸説不同記、曼陀羅図典とも、商羯羅天がなく商羯羅天妃だけ記述(単純ミス?)。
大日経疏 第三 「商羯羅 是れ 摩醯首羅の別名」
因明大疏 「商羯羅天、是れ 摩醯首羅天、 一切世界の於て大勢力あり」
三尸虫=ショケラ=商羯羅天と考えて、ショケラ退治を商羯羅天退治で表現する。この掛け軸が最古のショケラの姿である。

秀吉時代(1580頃)描かれた金輪院掛け軸 秀吉時代の武将片桐貞隆愛蔵品  

      江戸時代のレプリカ
金輪院縁起書(本尊掛け軸の由来)   意訳(読み切れない箇所がある)  原文は昭和36年窪徳忠「庚申の研究」

小泉庚申堂は藤林直良(宗源)が創立した。直良は泉の人で片桐貞昌に仕えた。
幼少から青面金剛を篤く信仰し福を得ることが多かった。貞昌の先代藩主は貞隆である。ある時家中の古い道具を廃棄焼却した。・・翌日灰の中から金剛像の軸を得た。外装は焼けていたが軸は無事だったので人々はその神威に驚いた。

その後戦乱の中でその所在が分からなくなった。直良は庚申堂の本尊にしたいとひそかに願い、手を尽くして探したが見つからない。堂は完成し、供養を待つばかりとなった。準備がすべて整い、四天王寺から導師も迎えた前夜、武江?から書を持参した者があり、箱を開く前から不思議な香りがした。・・開いて見ると願っていた金剛像であった。直良は感涙しかねての希望通り供養をすることが出来た。
そもそも直良が庚申堂を建てた所以は・・・村々の人は直良と同様に金剛を信仰して福を得、信心は既に堅く・・福力既に足り、・・純朴自然成風、治めずして乱れず、・・・
今ここに万治3年の秋、天台座主・・親王に金輪院の額の字を賜るよう直良から・・に申請するに当たり、私(寺僧)に命じて堂の由来を記述させた。
先代片桐貞隆が青面金剛を信仰し、この掛け軸を戦場へ持参し、武運長久のお守りにしていた。
50年後、片桐家から家老の藤林宗源が貰い承けて小泉庚申堂の本尊としたもの。(上の縁起では、貞隆の愛蔵であったことが不明確。)
貞隆は秀吉の旗本で、戦歴は三木攻め(本能寺の変の前年)〜朝鮮戦役。(1581〜1597)
地元では朝鮮戦役の時、身につけていたとされているが、秀吉の旗本である貞隆が朝鮮に出兵したかどうか不明。むしろ本能寺から秀吉の天下統一に活躍した年代である。
片桐貞昌/藤林宗源は、次の世代、大阪の陣以降(江戸時代)の生まれで、戦争は体験していない。
   

 

その他のショケラの謎 これまでのショケラの議論の中で、次のが提起されていたが、それも解明された。    詳細
ショケラの謎(その1) ショケラの語源
ショケラの歌で、 しゃむし→しょけらに変わったのは何故か。シヤムシが訛ってもショケラにはならない。
ショケラの謎(その2) 女人の呼び名 ショケラと呼んでいいのか
青面金剛の吊下げる女人がショケラと呼ばれたという確証がない。少なくとも江戸ではショケラと呼ばれたことがない。

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