H論 北斎コピー                                目次へ
TV番組では、いとも気軽に広重「赤阪」は北斎のコピーと紹介しているが、広重五十三次に北斎のコピーがあるというのは、広重研究の定説を揺るがす大発見である。(江漢五十三次問題とは、直接には無関係な発見である。)
北斎と広重
広重研究のテーマとして、よく取り上げられるが、昭和5年の内田実以来、「広重は北斎の風景画の若手ライバルとして登場し、広重東海道五十三次によって北斎の人気をを追い越した 」というストーリーにしたがって研究することになっており、「広重がライバルである北斎の絵をコピーするはずがない」というのが、美術界の定説である。

ところが、広重五十三次のモデルを探していく中で、広重東海道五十三次の中に、北斎のモデルがあちこちに含まれていることが分かってきた。
広重にとって、北斎は「風景画のライバル」であると同時に、30才年上の「学ぶべきことの多い大先輩」でもあった。(学ぶとはマネブ(真似する)から来た言葉という。)

東海道五十三次直前の広重の風景画「東都名所」にも北斎図のそっくりコピーが見られる。(下図)
 
「広重がライバルの北斎をコピーすることなど有り得ない」というのが美術界の定説らしい。
定説にもにもかかわらず、広重は北斎に心酔し、東海道五十三次でも、しきりに北斎をコピーしたがっている。

しかし版元の保永堂は、「北斎五十三次とは違う真景の東海道五十三次」という売り文句の手前、北斎コピーを禁じ、「川崎」船頭のように描き直しをさせられた例もある。
換骨奪胎されて原画が分からない場合は大目に見たようである。あるいは北斎のコピーであることが保永堂にも分からなかったかも知れぬ。

以下、広重東海道五十三次における北斎コピーを示す。

広重「赤阪」は、北斎五十三次 AB2枚からの合成。全体構図と縁の下、あんま、風呂、寝ころぶ人物は北斎Aのコピー、化粧に励む三人の女性、屏風、畳んだ布団は北斎Bのコピーである。
  ★両図とも女性の一人が長い手拭いで唇の紅を拭き取っていることに注意。北斎にしかない鋭い観察力である。
化粧する女性を描いた浮世絵は多い。(洗い髪→髪結い→白粉→口紅) しかし口紅を拭き取る瞬間の姿を描いた絵は、この2枚しかない。
戸塚初刻版の「馬から後ろ向きに飛び降りる旅人」は北斎漫画の曲馬の図、再刻版は北斎漫画の馬術図からコピーしたもので、どちらも「馬から降りる」図。北斎図を参照することで、戸塚再刻版のナゾが解けた。
馬から後向きに飛び降りることは不可能であることが指摘されたので、再刻版で正しい馬の下り方に修正した。)
川崎の船頭
弓なりの船頭」は北斎の専売。広重は、北斎五十三次「川崎」の船頭を コピーしたが、保永堂はこれを嫌い、本来の「江漢の船頭」に描き直しさせた。川崎再刻版の謎解きである。
若い広重が、好んで北斎をコピーしたことは、広重研究者もまだ知らないらしい?

2008年/9月のNHK「秘蔵浮世絵に見る広重の真実」
北斎富士三十六景「桶屋の富士」を広重がコピーした珍しい「うちわ絵」が海外美術館の地下倉庫から発見された。「定説が崩れた」事実を目の前にしたにもかかわらず、広重が「同じ絵を描いても俺の方が上手い」というライバル意識で描いたのであろう・・・という根拠のない無理な結論になっている。

「北斎は広重のライバル」という80年来の定説から抜け出せなかった説明である。
 
         北斎富士三十六景                 広重「うちわ絵」   葛飾翁の絵にならいて
 

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