青面金剛とショケラ                            まとめ目次へ

ショケラを下げる青面金剛(6手剣人標準型)
青面金剛(概論)
「青面金剛は、もと病を流行らせる悪鬼だったが、改心して病を駆逐する善神になった。」とされている。
(南北朝時代の仏教説話集「渓嵐拾葉集」)

青面金剛が庚申の主尊とされた理由
「三尸虫の活動を封じ込める」という庚申信仰の目的から、青面金剛は「病気を駆逐する神様」の代表として選ばれたものと思われる。(力づくで病魔を駆逐してくれる神様はほかに見当たらない。)
青面金剛進化論の概説
青面金剛の姿の原型は「ヒンズー教のシヴァに対抗して作られた仏教の将軍マハーカーラ」であるが、絵姿だけが一人歩きして中国に伝えられ、その怖ろしい外観から「病気を流行らせる悪鬼」と誤伝されて、病気平癒の祈祷の対象にされていた。
この鬼(儀軌4手)は取り扱いを誤ると危険なので、高僧や修行者しか扱えない、素人でも病魔退散を祈願できる穏やかな善神青面金剛の要望が高まり、平安時代に6手木像が作られて、後の青面金剛の原型になった。以下略 別に詳述
   
ショケラ(概論)
江戸初期の奈良金輪院の「庚申縁起」には、次のように青面金剛の姿が生き生きと描写されている。

・・生まれし其日より病脳苦悩種々の災患を起せる霊魂鬼神身に付添て、身心を苦しめ悩ます事、人力を以て是を避ることあたわず。・・庚申の日・・其日を主り給ふ青面金剛薬叉明王は・・大忿怒の形を現し、・・無数億の眷属を具して・・人間の身を煩はす霊魂鬼神のたぐいをことごとく滅ぼし平らげ、微細に降伏せしめ給う。・・

「霊魂鬼神」とは三尸虫のことである。

大畠説: ショケラ(剣人型=半裸の女人像)の起源 
奈良金輪院の本尊掛け軸(豊臣時代)には、青面金剛の眷属四夜叉の一人がショケラ(女人)をぶら下げており、最古のショケラと思われる。
前記金輪院庚申縁起の「霊魂鬼神を征伐し降伏させる」青面金剛のイメージそのままである。
大畠説: ショケラの起源(2)  何故女人像で表現したのか
仏像集でショケラを探すと、商羯羅天、商羯羅天妃が出てくる。ヒンズー教のシヴァ神(大自在天)の別名である。
シヴァは仏教の宿敵であり、髪をつかんで吊されたり、踏みつけられたりするシヴァの姿が仏像によく見られる。

「三尸虫=ショケラ」→「ショケラを征伐する青面金剛」→「商羯羅天(妃)を征伐する姿」の流れで、奈良金輪院の僧侶がこの女人像を創造し、掛け軸にしたものであろう。
征伐されるシヴァとシヴァ妃 マハーカーラに征伐されるシヴァ
参考:「ショケラ」論争

「ショケラ(女人像)=三尸虫征伐」は大畠の創案ではなく、S36「庚申信仰の研究」の中で、窪徳忠氏(庚申懇話会)が提案したもので、研究家の間である程度の常識になり、ショケラの呼び名も定着し始めていた。
◆ところが、同じ庚申懇話会の小花波平六氏が、この説に強く反対し、各地の講演で「半裸女人像をショケラと呼ぶのは間違い」と説いて歩いたために、「女人像」を何と呼んでいいのかさえ分からなくなって混乱が続いている。

◆「ショケラ」に代わる呼び名はなく、「青面金剛に髪を吊された半裸の女人像」と呼ぶしかないらしい。
「ショケラについて、その呼び名もその起源もその意味も何一つ分からない」というのが現在の定説である。
窪徳忠:「庚申信仰の研究」S36   全国調査より−福井県三方郡美浜町麻生

●徹夜せずにねる場合には、つぎのような呪言めいた誦言をねる前に床の中で三度誦えなければならないとされている。その呪言は
ショケラよ、ショケラ、ねたかと思つてみにきたか、ねたれどねぬぞ、まだ目はねぬぞ

この呪言を誦える理由については、つぎの二説がある。
一説では、「ショケラ」は庚申さんの弟子で、この晩に人々がねるか否かを監視しているので、夜明しをするのがもつともよいが、この呪言を誦えれば、ねてもねないと同様の効果があるといい、

他説では、「ショケラ」は人間を罹病させることを始めとし、さまざまな悪いことをするものでおる。そこで庚申さんが、それがあばれださないように、頭髪をっかんでおさえているのである。

第二の説から推測されるように、シヨケラとは、前述の青面金剛が左の中手で頭髪をつかんで下げている半裸女人像の姿で現わされたものである。かかる姿で現わした理由、およびこれを「シヨケラ」とよびはじめた年代と理由と明らかでないが、実はこの呪言とそれまつわる伝承とは、日華の庚申信仰の関係を考える上において、後述のようなきわめて重要な意義と価値をもつているのでおる。

●「ショケラ」すなわち庚申さんが下げている半裸女人像についての伝承を記しておく。この女人像をショケラと呼ぶのは、福井の2−4の他には三重の1のみである。
窪徳忠氏「庚申の研究」S36のショケラ論のまとめ

A)庚申の歌から、シヤ虫もショケラも三尸虫を指すことは明らかである。(関係者全員の意見一致)
B)女人像は俗にショケラと呼ばれている。(異論あり)
C)窪氏の全国調査で、女人像をショケラと呼ぶ地域が福井などに3例あった。(事実)
D)福井ではさらに、「ショケラが悪いことをするので庚申の神様が髪をつかんで押さえ込んでいる」という伝承が付随していた。(事実)

以上から、女人像は三尸虫退治を意味すると思われる。
これに対して、小花波氏は、「女人像が俗にショケラと呼ばれる」証拠がない。少なくとも関東地方には事例がない
ショケラが三尸虫を指すことは明らかだが、ショケラと女人像は別であり、女人像は三尸虫とは無関係と主張した。
大畠の整理 大畠説は、根拠を追加し整理して「窪氏の説が正しい」ことを再提案したものである。

窪氏の説: A)ショケラ=三尸虫 B)女人=ショケラ C)全国調査で福井地方に「女人=ショケラ」と呼ぶ地方があった
故に「女人=三尸虫征伐の図」という三段論法。

一方、小花波氏の反論は、B)「女人=ショケラ」という事実がないから三段論法が成り立たない。というもの。
しかし、B)がなくても、C)全国調査で福井地方に「女人=ショケラ」と呼ぶ地方があったという事実から、窪氏の三段論法は成り立っている。小花波氏が「窪説は間違い」と断定する論理上の理由はまったくない。

「関東地方で女人をショケラと呼ぶ例はない」という言い方は、庚申信仰が「江戸で始まって全国に普及した」という庚申研究者の初期の思いこみによるもの。
庚申信仰も青面金剛もショケラも、江戸よりずっと以前に関西で始まり、全国に飛び火したもの。
福井は東京から見ると、地方の片田舎のように見えるが、京都の本願寺と密接な関係にあり、本願寺詣りのツアーが江戸時代から延々と続いている。初期のショケラの呼び名やショケラの意味が福井に持ち帰られて現在まで正確に伝えられたことは大いにあり得ることである。

●S36年当時、不明とされた「ショケラの起源やショケラの名称の意味」が、その後の大畠の研究で明らかになり(「く」の誤読「けら」、商羯羅天など)、窪説を補強する結果になっている。
 
窪氏は「女人像=ショケラと思いこんでいた」ようで「女人像が俗にショケラと呼ばれる」ことが証明できなかった。

●小花波氏は、「女人像をショケラと呼ぶのは窪氏から始まった間違い」ということを折に触れてPRし、教育委員会などではショケラを使わないことがかなり徹底している。
しかし、代わりに使われている「餓鬼」「赤子」などは、「ショケラ」以上に何の根拠もなく、むしろ間違いである。
ショケラは「赤子」ではなく、明らかに「成人女子」の姿で作られている。
大畠は次の順で推論しており、「女人像が俗にショケラと呼ばれる」を前提にしていない。
@ショケラは三尸虫のことである。(しゃく→しゃけらの誤読から始まる。)
A金輪院の庚申縁起では「青面金剛による三尸退治」が強調されている。
Bショケラは仏典の「商羯羅/商羯羅妃」に通じるので、「三尸退治」を「商羯羅天退治」で表現した。半裸女人は当然ショケラと呼ばれていたはずである。
初期の時代にショケラの名称と意味が福井に伝わり、家単位の庚申講で正確に伝承された。
 

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