カシミール3Dと東海道五十三次      目次へ
国土地理院の地形図を数値化した数値地図が市販されている。これをパソコンで立体的に読み取るためのソフトが「三次元表示地図閲覧ソフト」で、カシミール3Dはその一つ。
最初はアルプスなどの山頂からの山岳展望を楽しむための趣味ソフトとして開発された。
    (杉本智彦著 カシミール3D入門 実業之日本社 2002発行 ¥1800)

平面地図上で撮影地点とカメラの方向を指定すると、そこから見た風景が表示される。地上からの高さも指定できるので足場のない中空からの俯瞰図も自由自在である。(カシミールの命名=「可視」+「見る」)

数年間の改良で使いやすくなり、数値地図まで入ったCD-ROM付き図書として(パソコン店ではなく)書店で発売されたこともあって、気軽におどろくほど簡単な操作で、日本全国任意の場所からの風景(家並などの邪魔物を除いた立体地形)が撮影できる。
カシミール3Dの画像は「CGで作った」ものではなく、「国土地理院の地形図を正確に読みとって表示している」だけであり、写真と同じである。
最近のCGの進歩はめざましく、映画の世界では現実にはあり得ない恐竜王国や天変地異の映像をやすやすと作り出せるようになった。
「CGならどんな絵空事でも作れる」というのが常識になりかけているが、そのことと、地形図を読みとって作図するだけのカシミール3Dの映像とを混同して貰っては困るので、くれぐれも注意しておく。
河口湖からの富士山(写真)
    日本平からの展望図
河口湖からの富士山(カシミール)
   上空1500mからの俯瞰図(原−吉原付近)

愛鷹山と海岸の松原との間に長く広がる浮島ヶ原の低湿帯。東海道は低湿帯を避けて海岸の松原を進み、田子の浦を迂回して吉原の手前から内陸に入る。
                    カシミール3Dによる作例
 
カシミールの応用 カシミールで、広重東海道五十三次およびその原画とされる司馬江漢五十三次の写生場所が同定できた。
例えば「蒲原」の雪景色について、現地に「広重写生場所」を示す立派な記念碑が建っているにもかかわらず、地形がまるで違うなどとして疑問を持つ人が多かった。
カシミールによる検討で、記念碑から2kmも離れた蒲原と由井の中間点に、江漢蒲原図とそっくりな地形が発見された。「広重五十三次の写生場所が発見された」と言うだけであれば、広重/東海道マニアのための朗報に過ぎないが、この発見はそれだけにとどまらない。

蒲原宿には立派な「広重写生場所記念碑」が建っているが、
地形や風景がまるで似ておらず、長い間議論が続いていた。

カシミール3Dによる蒲原の展望図
広重五十三次には、最近になって広重図の原画とされる「江漢五十三次画集」が発見された。
55枚シリーズ中50枚が同じ図柄で、偶然の一致ではないから、どちらかがどちらかのコピーである。江漢(1818没)は、広重五十三次(1833刊行)より前の世代の人物だから、江漢の真物であれば、当然江漢図がモデルであり、美術界をゆるがす大事件である。

今回得られた「蒲原」のカシミール図と現地写真は、広重図よりも江漢図の方にずっと良く似ている。
コピーを繰り返す度にに、実際の風景から遠ざかっていくと考えるのが常識だから、実景に近い江漢図がモデルであることが証明されたことになる。
上の4枚は広重東海道五十三次のモデル問題に決着を付ける決定的な画像であるとともに、江漢画集、広重五十三次画集の成立事情を探るための重要な資料である。

 

蒲原だけでなく、同じ様な現地風景のカシミール図十数例がまとまって得られた。
江尻  下の江漢図「江尻」は意外なことに海上からのスケッチである。(広重図は東海道名所図会のコピーで別な風景)
カブトガニのような興津山の真後ろにサッタ山が空に突きだし、となりに西倉沢山が続く構図は海上のこの地点でしか存在しない。
左の入江は興津潟で江戸時代は海だったがその後埋め立てられた。
山のコブ一つ一つを見較べると江漢図の山の正確さに驚かされる。江漢図は単純な風景画ではなく、実験的な手法の試みであること
も分かってきた。(写真鏡ドンケルカーモル)
吉田(石巻山)  広重図にわざわざ描かれた小さな山を「石巻山」と指摘した研究者はこれまで一人もいない。

江漢図は東海道から数kmはずれた石巻神社
付近からの石巻山スケッチと吉田橋とのモン
タージュ。
江漢画集にはこの種のモンタージュが多い。

江漢画集の富士山の形や縞模様が、明らかに現地でのスケッチであるという重要な知見も新たに得られた。
「富士山は正確/精密に写実で描くべきである。」というのが江漢西洋画論での持論で、江漢は型にはまった伝統的な日本画の冨士の描き方を厳しく批判している。(1811頃 春波楼筆記)
○吾国にて奇妙なるは、富士山なり。これは冷際の中、少しく入りて四時、雪,嶺に絶えずして、夏は雪頂きにのみ残りて、眺め薄し、初冬始めて雪の降りたる景、まことに奇観とす、・・それ故、予もこの山を模写し、その数多し。蘭法蝋油の具を以て、彩色する故に、彷彿として山の谷々、雪の消え残る処、あるいは雲を吐き、日輪雪を照らし、銀の如く少しく似たり。

○吾国画家あり。土佐家、狩野家、近来唐画家(南画)あり。この冨士を写すことを知らず。探幽(狩野探幽)冨士の絵多し、少しも冨士に似ず、ただ筆意勢を以てするのみ。また唐画とて、日本の名山勝景を図すること能わず、名もなき山を描きて山水と称す。・・何という景色、何という名山と云うにもあらず、筆にまかせておもしろき様に、山と水を描き足るものなり。これは夢を描きたると同じことなり。是は見る人も描く人も一向理の分からぬと言う者ならずや。

吉原の冨士 頭が丸い吉原の冨士。広重のギザギザ頭の冨士をコピーしても江漢の冨士は描けない。現地での実物写生である。 
カシミールの冨士
広重の冨士
江漢の冨士
 
由井の冨士 頂上の形、縞模様などの正確さに注目。平板な広重の冨士のコピーでは立体感のある江漢の冨士は描けない。
カシミール
広重
江漢

 

カシミール3D技法の位置づけ

こうしたモデル−コピーを議論する場合、江漢図Aと広重Bを見較べるだけではほとんど何も分からない。ABどちらが上手かなどの水掛け論になるだけである。議論を前向きに進めるには、比較判断の基準となる資料Cが必要である。
これまで「藤沢」について、広重図にはない山門や参道が江漢図に正しく描かれており、「Aの方が現地Cに近い」、「BをコピーしただけではAは描けない。→現地Cを見なければ描けない」とか議論されていた。こうした形で論じるのが直接的であり、とくにCが現地風景の場合、誰にも分かりやすい議論になる。

しかし実際には、現地風景Cが入手困難なケースがほとんどである。カシミール以前には、こうした議論に使える現地材料がきわめて乏しかった。

現地風景が入手しにくい理由
 1)開発による変貌が激しい。
 2)家並みなど人工物が立ち並んで写真が撮れない。
 3)富士山など冬季の快晴の日しか撮影できない。(季節/天候の制約)
 4)写生場所の特定が困難。(時間の限られた現地訪問では地元の説明に頼るしかない。)

カシミール3Dでは、家並みや工場などの人工物を除いた地形だけで作図する、天候による視界を気にする必要がない、私有地など立入禁止の場所でも自由に立ち入れるなど、上記1)2)3)4)の制約なしに、しかも居ながらにして、写生場所の探索、特定、撮影が可能であり、これまで入手困難だった多数の現地資料Cが得られた。
カシミールは東海道五十三次研究のための究極のツールである。

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