北斎五十三次人物の転用                          もとに戻る
広重五十三次の人物は、いろいろな資料からコピーされているというのはすでに常識である。しかしすべて1813年以前の資料すなわち江漢が参照出来た資料からのコピーであり、1813〜1833の20年間に刊行された資料は使われていない。すなわち江漢が参照した資料を広重が再参照したことを示している。
1813〜1833の間の資料で、東海道五十三次の手本に使えそうなものは、北斎の五十三次(5シリーズ)と北斎漫画である。
北斎ものがコピーされていないかを調査したところ、コピーされた例はほとんどないが、北斎「川崎」の人物が広重「川崎」に転用されていることが分かった。
続膝栗毛 口絵 (1813刊行)
江漢図 川崎 (1813)

対岸は無人。北斎の手前の岸の人物を対岸にコピーした。
広重図 川崎(初刻) 部分 (1833)

同上 再刻版
北斎五十三次(絵本駅路鈴)1820頃「川崎」

船頭のポーズおよび対岸の人物群(とくに右にしゃがむ人物−
北斎図は馬方、広重は駕籠かき)が広重図とそっくりである。

江漢図(1813)には北斎図(1820頃)はまったくコピーされていない。見方を変えれば、江漢図が後世のニセモノではないことの証明である。
広重「川崎」の構成は実に複雑で、@江漢の川崎 A続膝栗毛 B北斎「川崎」の三つがモデルに使われている。
更に再刻版では、北斎の船頭が江漢の船頭に修正された。
広重五十三次は北斎五十三次を追い越すことを目標に作られたもの。「北斎図のコピーはまずい」というのが、川崎の再刻版が作られた真の理由かも知れない。

●広重五十三次には、北斎五十三次はほとんどコピーされておらず、川崎、赤阪の2例だけ。

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