江漢の富士論  
江漢は富士山の絵について「写実であるべき」という持論があった。                概論に戻る
○吾国にて奇妙なるは、富士山なり。これは冷際の中、少しく入りて四時、雪,嶺に絶えずして、夏は雪頂きにのみ残りて、眺め薄し、初冬始めて雪の降りたる景、まことに奇観とす、・・それ故、予もこの山を模写し、その数多し。蘭法蝋油の具を以て、彩色する故に、彷彿として山の谷々、雪の消え残る処、あるいは雲を吐き、日輪雪を照らし、銀の如く少しく似たり。

○吾国画家あり。土佐家、狩野家、近来唐画家(南画)あり。この冨士を写すことを知らず。探幽(狩野探幽)冨士の絵多し、少しも冨士に似ず、ただ筆意勢を以てするのみ。
また唐画とて、日本の名山勝景を図すること能わず、名もなき山を描きて山水と称す。・・
何という景色、何という名山と云うにもあらず、筆にまかせておもしろき様に、山と水を描き足るものなり。これは夢を描きたると同じことなり。是は見る人も描く人も一向理の分からぬと言う者ならずや。

○画の妙とする処は、見ざるものを直に見る事にて、画はそのものを真に写さざれば,画の妙用とする処なし。富士山は他国になき山なり。これを見んとするに画にあらざれば、見る事能わず。・・ただ筆意筆法のみにて冨士に似ざれば、画の妙とする事なし。
之を写真するの法は蘭画なり。蘭画というは、吾日本唐画の如く、筆法、筆意、筆勢という事なし。ただそのものを真に写し、山水はその地を踏むが如くする法にて・・写真鏡という器有り、之をもって万物を写す、故にかって不見物を描く法なし。唐画の如く。無名の山水を写す事なし。

1815頃 西遊日記挿し絵(真筆)
1812年 江漢が京都で描いた富士(柏原)−−真筆 1813年 江漢画集 由井
富士山図 江漢が非難する日本の伝統的な冨士の描き方
蕪村
谷文晁
蕭白
木村探元
円山応挙

月僊

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