江漢の富士論 江漢は富士山の絵について「写実であるべき」という持論があった。 概論に戻る |
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○吾国にて奇妙なるは、富士山なり。これは冷際の中、少しく入りて四時、雪,嶺に絶えずして、夏は雪頂きにのみ残りて、眺め薄し、初冬始めて雪の降りたる景、まことに奇観とす、・・それ故、予もこの山を模写し、その数多し。蘭法蝋油の具を以て、彩色する故に、彷彿として山の谷々、雪の消え残る処、あるいは雲を吐き、日輪雪を照らし、銀の如く少しく似たり。
○吾国画家あり。土佐家、狩野家、近来唐画家(南画)あり。この冨士を写すことを知らず。探幽(狩野探幽)冨士の絵多し、少しも冨士に似ず、ただ筆意勢を以てするのみ。 |
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1815頃 西遊日記挿し絵(真筆) | ||
1812年 江漢が京都で描いた富士(柏原)−−真筆 | 1813年 江漢画集 由井 |
富士山図 江漢が非難する日本の伝統的な冨士の描き方 | |
蕪村 |
谷文晁 |
蕭白 |
木村探元 |
円山応挙 |
月僊 |