江尻のまとめ          まとめ   目次へ                
広重図は、東海道名所図会「日本平から見下ろした三保の松原」図の正確なコピー
ただし箱根と伊豆の山々は省略されている。
 
江漢図は、三保の松原の先端と興津を結ぶ海上から見上げたサッタ山の写生で、周囲の山々の地形が非常に正確に描かれている。
カシミールで調べると、この形にサッタ山が見える(サッタ山が空に突き出す)のは、海上の一地点しかないことが分かった。

江漢は三保の松原を見学したあと、船便で東海道に戻り、その海上でサッタ山がもっともよく見える地点を探して写真鏡で写生したことが分かる。
             <今更、言う必要もないことだが、ニセ江漢がこんな面倒な行動をするだろうか。>

★東海道の旅の途中で三保の松原「羽衣の松」を見学しようとすると、半日以上の迂回になるが、舟で東海道とつなぐと便利である。
  定期の舟便はなかったようだが、漁師などが小遣い稼ぎに旅人を渡していたのであろうか。

 

江漢真筆の決定的な証拠: 一見地味な証拠に見えるが・・・
 
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1815頃、江漢の描いた西遊日記挿し絵に、この海上の一点から見たサッタ山の形が描き込まれている。
1813江漢画帖「江尻」1815江漢西遊日記挿し絵は、同一人物が描いたものであることが、完全証明された。
    サッタ山の右隣は西倉沢山
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