江漢のプロフィル                       戻る   概論に戻る

江漢の画歴と晩年の江漢

江漢の生涯の画風は、
浮世絵−南画(中国画)−銅版画−西洋画(油絵)
とめまぐるしく変わる。

1807年には西洋画(油絵?)を止めることを宣言し、
1812年には京都に滞在して「日本画、南画、洋画を
融和した画風
」で富士山の絵を沢山描く。
後の横山大観につながるような
透明感のある富士山として好評である。

1812年暮れに江戸に戻った江漢は金銭問題に巻き込まれ、1813年の六月には「何もかもいやになった」として「絵画の頒布会」もふくめて一切の活動から引退してしまう。その後1818年の死去まで二度と世に出ることはなく、1813以降の絵画作品は(著作の挿し絵以外)知られていない。
「何もかもいやになって」引退したはずの江漢が、隠退後も絵を描き続けていたことは資料から明らかである。
浮世絵時代
中国画
銅版画
洋画(油絵)
1815頃、西遊日記挿し絵

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