大津の初摺りー後摺り問題  鑿の跡」を手がかりに、異刷り、異版を順番に並べて見る。    目次へ
「山のあるのが初刷り」と言う定説は誤りであるが、定説の誤りが幸いして、山のある異刷りが出版物に掲載されることが多く、多数の事例を入手できた。
@初摺りシリーズより(版画家徳力富吉郎氏:東海道 今と昔)
A青の幅がかなり広いが「鑿の跡」が見当たらない。
B琵琶湖を消した版
C山を入れると黒と青のぼかしが重なる。本図はぼかし位置を決めるための試し摺り(商品ではない。)ここで「鑿の跡」が入る。
D山と琵琶湖の共存、ぼかしが重なる。 鑿の跡がうっすらと見える。
E山をあきらめたが鑿の跡は残る。
F後版(最終確定版シリーズ) 版がそっくり替わる。
琵琶湖が初刻版よりもはっきりしている。
@(徳力富吉郎:東海道 今と昔 保育社 昭和37)より
版画家である著者が、地方まで出かけて初摺りを選んだシリーズ

A青のぼかし幅がかなり広くなっているが「鑿の跡」が見えない。

B琵琶湖を消してしまえば、山を入れても技術的にも地理的にも問題がない。広重が琵琶湖を消すことに同意しなかったらしい。

C山を入れようとすると、山裾の黒のぼかしと琵琶湖の青のぼかしが重なって汚くなる。ぼかし位置を正確に決めるための試し摺りが本図で、位置の目安のためにここで「鑿の跡」を入れた。
商品ではないことは一目瞭然なのに、広重の世界展で「初摺り」として出品されていたのはお粗末。全国を巡業して何万人もの観客があったはずなのにだれからも指摘されなかったのもお粗末。
参考展示なら大変価値がある一枚。

D山と琵琶湖を共存させた作品。ぼかし位置をぎりぎりで調整している。鑿の跡がうっすらと見える。

E山をあきらめたあとの作品。鑿の跡は残っている。

Fは後版(最終確定版シリーズ)  版がそっくり替わっているが、「琵琶湖」が初刻よりもはっきりと残っている。

これまでの広重研究では、白く光る「琵琶湖」や版木の「鑿の跡」の比較などは誰も議論していない。誰かが言い出した「山のあるのが初摺り」という説を何の疑いもなく信じただけの議論が多すぎる。
大津に限らず、自分の目で確かめ、自分で考えると言う基本的な姿勢が、これまでの広重研究にすっぽり抜けているような気がする。
次のような事実に誰一人疑問を抱かなかったとすれば不思議である。

●版画家である徳力富吉郎氏が(山があるとかないとかの知識ではなく)「版画家の目で摺りの状態から選んだ」「東海道昔と今」(保育社)初摺りシリーズの大津に逢坂山がない!※

●中右瑛著「安藤広重の謎」に引用されたある古老」の意見(大津について) 
「山なしで売り出したが、やっぱり山が必要であることに気づき、あわてて山を刷り込んだ。だから周囲の色との違いが出て、山の色に不自然さが出た。世に残る山のある作品はほとんどあとで刷り込んだもの。☆」   
どう読み直しても「山があるのが後刷り」と言う意見であるが・・・中右氏は何故か定説通り「山があるのが初刷り」としている。
☆参考図:この53次シリーズの他の絵に出てくる遠景の山と較べても、大津や池鯉鮒の山は極端に不自然である。(大畠)
金谷 石部
※徳力富吉郎著 東海道昔と今 カラーブックス(保育社)S37初版 S47改訂版 より抜粋
(p120)初刷りの見分け方など
・・版木は使用するたびに水分を含み使用後は乾燥して木が縮むので再版以後の版画は色と色との間に白い紙のすき間が覗くにはこの版のちぢみからである。これで初版(初摺り)と再版とが区別できる。
また色の隙間のあるのは干渉するにも見にくい。正確に色がしっくり合い、色調があくどくなく、画家の指図通りに美しい色で擦られた初版(初摺り)の尊い理由は十分にある。
再版が度重なると画家の監督もおろそかになり、つい遠山の薄い色が一回刷り抜け田利することがあり、また板が摩滅してきてうまく摺れない部分もできてくる。・・色も最初は雰囲気が出ていたものから、版を重ねるに従ってだんだん遠ざかっていく。

(p129)初版撮影について (S37)
今度わたしは「東海道昔と今」を編集するに当たって先ず、広重を代表する作品を探すことから始めた。
もちろん私も版画製作四十年余あらゆる機会に広重の東海道を見ているが、さて五十五枚全揃いの優秀な物はそう簡単には目にふれない。先年、和歌山御坊市の・・・(以下地方へ出かけて初版を選んだ苦労話)
・・・保永堂版を三組も比較しつつ、同時に見る機会が与えられたということは版画家として一生記憶から去らないことだろう。
内田実「広重」昭和5 に次のような簡単な記述があるが、意味がよく分からない。
「・・(なお「大津」の初版では、空が一面藍潰しになっている。)」−−「ぼかしがない」という意味か。
上記Cを初刷りとするのは、この内田氏の記述を何か誤って無理に解釈しているのではないだろうか。

もとへ戻る     目次へ

池鯉鮒 異刷り

●クジラ山の下に米粒大の人物群が描き込まれている。せっかく細かく彫った人物群の上に黒い山をかぶせているのは乱暴で無神経である。
あとから無理矢理に山を追加したことは明白。
広重の異刷りは、ちょうど江漢図右上の山?(森?)の位置に、山を入れたり出したりしている。何とか江漢図通りに仕上げたいという意図が見え見えである。
山を入れようとした動機は大津と同じである。

広重の原画ではちょうどこの位置に豆粒〜米粒大の人物(馬商人の列)を描いてあり、その上に黒いクジラ山をかぶせるのはいかにも乱暴なやり方である。

山を後から追加したことは明白なのに、「山がある方が初刷り」と言うのが定説になっており、誰も疑問に思わないのは不思議である。
浮世絵版画では、後刷りになると「手抜きをして遠景の山を省く」というケースがあることが知られているが、大津や池鯉鮒は明らかにそれとは違い、意図的に山を出したり入れたりしている。

江漢図と異刷りが酷似していることについて
A)江漢図の山に合わせて、異刷りで山を入れようとした
B)ニセ江漢が、たまたま異刷りをモデルにした
という二つの見方が一応可能だが、

A)説では、
山を出したり入れたりした理由が説明できるのに対して、B)説ではそれが説明出来ず、広重五十三次の謎が相変わらず謎のまま残ってしまう。

広重解説本を通読すると、大津では「そこに逢坂山があるから入れた」と説明し、池鯉鮒では「そこに山がないので消した」と説明している。
その場限りのちぐはぐな説明がまかり通っている。
●大津と同様、版画家徳力富吉郎氏が「版画家の目で、摺りの状態から選んだ」初摺りシリーズ「東海道昔と今」の池鯉鮒にクジラ山がない

もとへ戻る    目次へ

inserted by FC2 system