ショケラについて  (第2報)    日本の石仏No75(1995秋号)                  目次に戻る
−−−「青面金剛オリジンを探る」追補
                                    大畠洋一
庚申塔に彫られた青面金剛(剣人型)が髪を持ってぶら下げている人物を石仏仲間では「ショケラ」と呼んでいる。
石仏の本のショケラの説明では、「餓鬼とも言われ、また乳房をあらわにした半裸の絶世の美女とも言われる。」とあるが、どの本にもそれ以上のことは書かれておらず、ショケラの語源の説明もされていない。すでにショケラの語源も素性も分からなくなってしまったらしい。
ショケラとは「商羯羅天」のことである。
密教大事典「大自在天」の項によると、商羯羅天は摩醯首羅(マケイシュラ=大自在天の梵語名)の数多い化身の一つとされる。
大日経疏五に「置商羯羅天、此是摩醯首羅」の記述がある。
密教大辞典および曼陀羅図典(平成4 大法輪閣)の伊舎那天妃の項には「伊舎那天妃または商羯羅(シャンカラ)后」の記述がある。
伊舎那天も大自在天の化身の一つで荒ぶる神の性格を代表する。
ショケラ(商羯羅天)大自在天すなわちヒンズー教のシヴァ神のことである。               
諸説不同記卷第八 伊舎那天妃                                               商羯羅天資料へ
具縁品釈有商羯羅妃在西方。印品説商羯羅后妃密印。三蔵軌出烏摩天真言。現図在伊舎那天之右。

新纂仏像図鑑
商羯羅と云ひ、大自在天と云ひ、摩醯首羅と云うも,之れ悉く同体異名なり。故に大疏第三に曰く「商羯羅是れ摩醯首羅の別名」と。また因明大疏には「商羯羅天、是れ摩醯首羅天,一切世界において大勢力あり」と。                        
「餓鬼」の方は仏画や資料から話の出所の見当がつく。よく引用される胎蔵界マンダラの大黒天(マハーカーラ)が山羊と共に髪を吊り下げている人物がそれで、「人頭」「人の髻」としている資料もあるが、慧琳音義十では「左二手に餓鬼の頭髻」としている。
しかし一方の「半裸の美女」の方はこれまでまったく出所が分からなかった。
「半裸の美女」の手がかり(参考図)
図の説明には「タントラ的神格としてのヴィシュヌ=クリシュナ」とあるだけなので、詳細は自分で推定するしかないが、これは仏教の図ではなく、ヒンズー教内部の宗派争いの図である。
ヒンズー教の最高神はシヴァ、ヴィシュヌ、プラフマーの三神であり、それぞれの役割分担があるはずだが、その中でも誰が一番偉いかということで宗派が分かれており、とくにシヴァ派とヴィシュヌ派の対立が激しく、今でも関係修復が出来ない状態という。
この図はヴィシュヌ派の立場からの図で、中央の7匹の蛇龍を持ったヴィシュヌ神がシヴァ夫妻を征伐している場面である。右手の四面の神はプラフマー(梵天)とその妃で、敵か味方か分かりにくいあいまいな態度をとっているが、多分ヴィシュヌ神のすさまじい勢いに圧倒され、戦う前に従属を誓っているという構図であろう。
征伐されている男性はすでに戦意を喪失しているのに対し、髪をつかまれた女性はなお剣を振り回して最後の抵抗を試みている。
よく言われる「忍従を強いられた女人の姿」などではなく、巴御前を思わせる勇婦の姿である。
戦っているのが女性の方であるのは面白いが、これはインド的な考え方にたったもので、男は権威を示すために黙って座っていればよく、力仕事も含めて仕事は全部女性がやるのだそうである。
この図から次のことを読みとっておこう。
1)相手を屈服させたことを表現するのに「足で踏みつける」のと、「髪をつかんで引き倒すあるいは吊り下げる」のとがある。
この図ではヴィシュヌは大魚の口から出現した伝説を踏まえているため足が描いてなく、踏みつける構図が取れないのである。同様に座った像の場合も踏みつける構図がむつかしい。

2)シヴァ神を屈服させるには夫婦もろともに屈服させる必要があるらしい。
シヴァ夫妻は大変仲が良く、べったり寄り添っている彫刻や絵画がよく見られるが、シヴァ夫人のドゥルガー妃は、獰猛な魔神マヒシャを退治したことであがめられている「勇気と美の女神」である。やさしいだけの女性ではない。

3)敗北したシヴァが他の神に較べて貧相でみすぼらしく描かれており、シヴァであることを示す持ち物や服装がない。
傍らで剣を振るうシヴァ夫人がなければ、一般市民を弱い者いじめしているように思われかねない描き方である。

ドゥルガー祭りの山車
両図とも魔王マヒシャを征伐する
ドゥルガー妃
剣と丸い盾に注意。
護法尊について                              マハーカーラ論へ
ショケラは「護法尊」と切っても切れない関係にあるので前報と重複するが護法尊の歴史について簡単に述べる。

ヒンズー教、イスラム教の圧力に苦しんだインドの仏教では、仏敵から仏教を守るために強力な護法尊を必要とした。仏教には強い神が居ないために同じインドのヒンズウ教の最強神であるシヴァ神を借りてマハーカーラとし仏教の護法尊とした。
インドの仏教が滅び、仏教寺院も破壊されてしまったためインドには記録も絵画もほとんど残っておらず、これまで護法尊のオリジンをたどる研究が困難だった。10数年前からチベット仏教寺院の壁画や仏像が日本人の目に触れるようになり、これを頼りに護法尊の系譜が明らかになりつつある。

1)初代のマハーカーラはシヴァと同じ四手像でシヴァの持ち物である三叉戟、棒、輪、索を持っていた。この図が中国?に流れ、ほとんどそのまま儀軌の青面金剛の姿として伝えられた。
チベットではチベット仏教の神聖な法具を持つ2手がつけ加えられ、持ち物の「棒」が「時を表す太鼓」に変わった六手マハーカーラが寺院の壁画に多数残っている。

2)その後、更に強力なマハーカーラが求められた結果、ヒンズウ教の三神を合体した二代目のマハーカーラが作られた。三面で剣を持つのが特徴である。
三面マハーカーラもチベット寺院の壁画にも多数見られる。
中国から日本に流れたものは、大黒天(マハーカーラ)として伝えられ、胎蔵界曼陀羅などにその姿が描かれた。

3)初代マハーカーラはその後、不動明王に発展し、四薬叉、二童子を含めて五大明王となったらしい。日本の不動とは雰囲気がかなり違うチベット型の不動明王も残されている。

さてこうして作られた護法尊の役目は仏敵から仏教を守ることであったから、仏敵を屈服させている姿に作られた。当時の当面の仏敵はヒンズー教であり、ヒンズー教の最強神はシヴァ神であるから、護法尊はシヴァ(大自在天)を屈服させていることが多い。
シヴァ神から創られたマハーカーラは、行きがかり上、自分で自分自身を退治する姿に作られることになる。
儀軌の青面金剛は「両脚下に各一鬼を踏む」とされているが、これはシヴァ夫妻である。
五大明王の一つ降三世明王は、ヒンズー教と何の関係のないはずの日本においても、大自在天(シヴァ)と烏摩妃(ウマー妃=シヴァ夫人)を踏む姿に作ることになっている。
二代目マハーカーラの大黒天が吊り下げている「餓鬼」がシヴァである。やせ衰えていてとてもシヴァとは思えないが、敗れた側はみすぼらしく哀れに表現されることを前記の参考図で学んだ。

大黒天については多くの研究書があり、恐ろしい姿のマハーカーラが日本で何故福神の大黒様に変わったのかは大変面白い読み物※であるが、どの本も大黒天の吊るしている人物および山羊についての説明がない。「生贄を好む怖ろしい神」というニュアンスで説明されていることが多い。                                            ※( →マハーカーラ論参照)
参考図のシヴァも大黒天のシヴァもフンドシ一つの哀れな姿に描かれている。参考図ではヒンズー教三神のうちヴィシュヌとプラフマーがはっきり描かれ、武勇で知られるシヴァ夫人も側に居るから残りの人物がシヴァであることは誰にも分かる。しかし大黒天マハーカーラの図では髪で吊るされているフンドシ一つの人物がシヴァであることは容易には分からないはずである。この図を描いた画家はシヴァを示す手がかりを残そうとしなかったのだろうか。
実は誰にも分かるシヴァの直接の手がかりがきちんと描かれている。左手に吊り下げた動物がそれである。
すべての文献資料には「山羊あるいは羊」と書いてあるが実は「白牛」である。
インドには白いコブ牛が多く、聖牛として大切にされるが、中国や日本では真白い牛はめったに見られないため「山羊または羊」と見誤り、その結果この人物の正体も分からなくなってしまった。   
これが山羊でなく白牛であるなら、大黒天が吊るしている人物(ショケラ)の正体はたちどころに明らかになる。

★唐代の仏教語大辞典「慧琳音義」(空海が帰朝した翌年に刊行されたもの)では、すでにとされている。「白牛→羊」は空海以前からの誤りだが、1200年の間、誰もこの単純ミスに気が付かなかった。
大黒天:八手にして身青黒雲色。二手は一の三叉戟を横に把り、右二手は青、左二手は餓鬼の頭髻、右三手は剣、左三手はドクロ幢を把る、後の二手は肩の上に一の白象皮を張りて被るが如くす。毒蛇を以てドクロを貫きて瓔珞とし、虎牙を出し大忿怒の形なり。足下に地神天女あり、両手を以て足を承く。

インドの花祭り行列の主役白いコブ牛(模型)色が白く、角が長いほど神聖とされ珍重される。
ヒンズー教シヴァ神の彫刻と絵図の例
白牛はシヴァの乗り物であり、常にシヴァと一緒に居る。

左:シヴァの家族 
シヴァ夫妻と二人の子供。
  (左が象頭のガネーシャ)
手前に白牛と孔雀

中央:シヴァ夫妻の合体図
左半分がシヴァと白牛
右半分がシヴァ妃とライオン

右:仲の良いシヴァ夫妻
足下に白牛

シヴァ夫妻の彫刻や絵画では、必ず傍らでシヴァの乗り物の白牛がおとなしく待っていることになっている。仏教の胎蔵界曼陀羅でも大自在天は白牛に乗った姿で描かれている。
大黒天図仏教の大将軍であるマハーカーラが、白牛に乗ったヒンズー教の最強神シヴァを打ち倒し、牛とシヴァを両手にぶら下げている場面なのである。
江戸初期の石工が創造した青面金剛の持ち物として大黒天の吊り下げている人物を選んだのは、多分単なる思いつきであったろう。
鈴を持っていたはずの手にショケラを持たせたのは、鈴がすでに脱落して何を持っていたのか分からなかったためか、あるいは鈴の音に聞き入る静かな青面金剛では凶悪な病魔と闘って貰うには頼りないと感じて、故意に鈴をショケラに変えて見たかであろう。
前報では「思いつき」説の根拠として寛文元年に剣人型第一号が出現した後、剣人第二号が出るまでに三十数年の空白期間があったことを挙げた。青面金剛にショケラを持たせることには世間が納得するような説明がなかったのである。

しかし青面金剛が実はマハーカーラであり、大黒天もマハーカーラであることが分かって見ると、江戸石工が大黒天の持ち物であるショケラを青面金剛に持たせたのは本当に偶然だったのかという疑いも出てくる。
大黒天がマハーカーラであることは以前から分かっていたことだが、青面金剛もまたマハーカーラであることは、最近チベット寺院の壁画を見て始めて分かったことであり、まさか江戸時代の石工がそのことを知っていたとはとても思えないが、偶然にしてはよく出来すぎている気がする。
注)青面金剛が何故ショケラを持つのかについては、この時点ではまだ筆者にも分かっていない。第四報でようやく謎が解けた。   →第四報を参照

(まとめ)
前報と合わせて、これまで謎とされていた青面金剛とショケラの起源を探った。青面金剛は庚申の神として道教、仏教、神道が混じり合って日本で創り上げられたという定説に対し、青面金剛は、少なくとも「形」に関する限り、単純に仏教の神であり、ショケラもまた仏教の仏像の姿からきたことを明らかにした。
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商羯羅天資料                                                       もとに戻る
諸説不同記
日本最古の仏像研究書。各種曼陀羅や経典の仏像の異同を比較している。
伊舎那天の項に商羯羅天がなく、伊舎那天妃の項にだけ商羯羅天妃が出ている。
曼陀羅図典
この新しい図典にも、商羯羅后だけが出ている。左の「諸説不同記」からの影響であろう。


伊舎那天妃
(解説)伊舎那天の妃。
     商羯羅后とも呼ばれる。
新纂仏像図鑑(上巻 p103)  「摩醯首羅天」の項
摩醯首羅は略名にして、委しくは莫醯伊湿伐羅或は摩醯伊湿伐羅と云ひ、訳して大自在天と云ふ。
慧琳音義に曰く「摩醯首羅(まけいしゅら)正しくは摩醯湿伐羅と云ふ、摩醯は是れ大と云ふなり、混伐難は自在なり 謂く此の天王大千世界中に於て自在を得る故なり」と。また、十二天供儀軌に曰く「伊邪那天、奮には摩醯首羅と云ふ、唐には大自在天と云ふなり」と。
もとは印度の主榊にして湿婆(Siva)と称せしが、のち佛教の守護神となり、欲界第四禅天の頂上に住す。
商羯羅(しゃうぎゃら)と云ひ、大自在天と云ひ、摩醯首羅天と云ふも、之れ悉く同髄異名なり。故に大疏第三に曰く「商羯羅是れ摩醯首羅の別名」と また因明大疏には「商羯羅天、是れ摩醯首羅天、一切世界に於て大勢力あり」と。故に此の天は三千世界の主にして一切衆生の願望を成就せしむ。・・・
密教大辞典  「大自在天」の項
梵名を摩醯首羅という。大自在の意なり。・・・
大自在天には千名ありという。すなわち千の化身ありて魯達羅その一なり。また商羯羅および伊舎那も此の天の化身なり。 ・・・
仏像研究書、仏教事典にショケラ(商羯羅天)があちこちに出てくるのに、これまでの庚申研究で、仏典とショケラとの関係が取り上げられなかったのは不思議。

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