48関 5.仙女香 1 2 3 4 5 まとめ 目次へ |
幕の下から「宿札」が覗いている。宿札は大名以外の高級武士が宿泊するときに掲げる表札である。 江漢図には「〜〜守宿」、広重図には「〜〜守泊」とある。 どちらが正しいか調べたところ、両方のケースがあり、どちらも正しいということになった。 |
仙女香問題について |
江漢図に「仙女香」の看板が見える。広重図は明らかに広告で、ふすま模様の上に販売元の住所と名前が書いてある。 仙女香は広告熱心な化粧品(白粉)で、浮世絵とタイアップした広告も多く、「何にでもくっついて出る仙女香」などの川柳がある。 |
江漢画帖が発見された当初、「江漢図は広重図の広告をうっかりコピーしてしまったもの」「江漢の時代(1818没)には、まだ仙女香は発売されてなかった。」という話が美術界に広まり、「江漢画帖がニセモノである決定的な証拠」とされて、議論の流れを決定的にした。 ●「明治の絵に新幹線が描かれているようなもの」で、お粗末きわまるニセモノとされた。すなわちアリバイがあり、江漢本人では有り得ない。 |
「江戸一人買い物案内」という買い物ガイドに、仙女香が始めて掲載されたのが1824年。 したがって仙女香の発売は1824年であり、江漢(〜1818)の死後である。というのが上の話の出所である。 |
ところが上記の話は、とんでもない誤報であった。正しくは ★江戸一人買い物案内」の創刊は1824年、それ以前には類書もなかった。(江戸学事典) ★1803年、歌舞伎役者3代目菊之丞(1809没)が「仙女」と改名。改名記念に仙女香を発売した。(浮世絵事典) ★1803〜役者仙女の人気が絶頂。その人気に連動して、仙女香が売り上げを伸ばした。(歌舞伎人名事典) すなわち、どれを取っても、仙女香は江漢の時代の化粧品であり、問題はない。 上記のような基本図書をどれか一つでも確認すれば、すぐに分かったはずである。(浮世絵事典すら見ようとしなかったのか) 本の創刊年を化粧品の発売年と取り違えた−−誤報にしてもきわめてのレベルの低い誤報である。 |
アリバイ発見というニュースは美術界の隅々まで伝わったが、その後の誤報だったという話はほとんど伝わっていない。 今でも「仙女香」の誤報を根拠にニセモノ説を信じている美術関係者が多い。ひどい話である。 |
★仙女香は1803年頃、役者仙女(1809没)の人気と連動して売り上げを伸ばしたことがよく知られている。 江漢(1818没)最盛期の出来事であり、江漢図に描かれても時間的に何の不思議もない。 |
江漢図に「仙女香」が描き込まれた理由はまだ不明であるが、いくつかのヒントは見つかっている。 仙女や仙女香の名前が生まれたのは,1803年よりずっと以前ではないか。 仙女あるいは仙女香は、若き日の江漢に何かのつながりがあり、江漢人生の思い出につながるのではないか。別項 |